ある秋の日に (後編)
【4】 傷跡

足元はいつの間にかアスファルトから砂利道にかわり、秋の柔らかな陽光が水溜りに反射している。まばらに見える古い家屋は周囲に溶け込んでいて、少しも景観を損ねることはなかった。
「……分かってる」
唐突に秀一は口を開く。
「でも、さっき言ったことは本気なんだ」

──あの人のことは諦めないか?

「お前達の間に何があったのかは、俺は知らない。墨縄家の財宝が狙われて、大変な騒動に巻き込まれて……きっと一筋縄じゃいかないようなことがあったんだろう」
紫は小さく頷いた。確かに、あの時は一生分の冒険をした気がする。だがそれは、彼女にとっては決して忌むべきものではなかった。
「……だけどな、式も済んでないのに花嫁を残して出て行くような男に、お前を任せたくないんだ」
「でも、それは……!」
反論しようとした紫を制して、秀一は続けた。
「彼の気持ちが全く分からないってわけじゃない。だけど、それで彼を許せるほど俺は人間が出来ちゃいないんだ。それに──」
秀一はいきなり紫の左腕を掴む。上着で隠れてはいるが、その下にはかつてかの人物に付けられたという太刀傷があった。
「奴は、お前を守れなかったんだぞ」
理由を知らぬ秀一とて、それが故意だったとまでは思っていない。敵対する一族との戦いは熾烈を極めたとの噂であるから、その混乱の中では何があっても仕方がなかったのかもしれない。しかし、他ならぬ紫を傷付けたということに、秀一は強い憤りを覚えていた。

「嫌! 触らないで!!」
紫は激しく身をよじり、秀一の手を振り払った。傷跡があると思われる場所に右手を当てて一歩下がる。まるで、その傷を付けた人自身を庇うかのように。
「秀一さんが心配してくれているってのはよく分かっているの。でも、お願いだから、あの人のことを悪く言わないで」
「紫……」
二人とも、いつの間にか足を止めていた。
「ねぇ、見て」
紫の示した方向に白い石段が見える。この地域一体を守護する神社へと続く道だ。
墨縄家とも縁が深く、祭事などの度に家長を始め一族内の人間が訪れることも多かった。
そして……
1年前のあの日、紫は白無垢に身を包みこの石段を昇った。頬を朱に染め、幸せそうに傍らに立つ人物を見詰める彼女の姿は、未だに秀一の脳裏に焼き付いている。深い紅葉の中で、純白の花嫁衣裳は何よりも映えていた。ずっと子供扱いをしてきた妹が、いつの間にか大人の女性になっていたのだと……そう感じさせられた一時であった。
「小さい頃、この神社にもよく遊びに来たよね」
紫は、過去を懐かしむかのように目を細めた。
「時には誰かの結婚式をやっていたりして、幼心にドキドキしてた。いつか私も、こんな風に素敵なお嫁さんになるんだ、って」
しかしその夢は、成就する直前に脆くも崩れ去ってしまった。
(……いや、違うな……)
秀一は小さく首を振った。
紫の表情を見れば分かる。彼女はまだ夢を諦めていない。いつか再び、かの人物とこの道を進む日が来ることを信じている。

秀一の脳裏に、ある記憶が蘇った。



【5】 記憶

その日──挙式の日取りが決まり、本家が慌ただしくなって来た丁度その頃、秀一は相手の男を呼び出した。場所は墨縄の分家の一つ、秀一の暮らす屋敷の近くにある小さな広場であった。
「話というのは?」
呼び付けておきながら一向に本題に移らぬ秀一に、男は焦れたように声を掛けた。恐らくは、式の段取りを決めている最中のことだったからだろう。
しかし既に見知った間柄である秀一には、それはやや意外に感じられたことを今でもはっきりと覚えている。例え何があっても周りに惑わされず、自分のペースを崩さない人間……そう思っていたからだ。
秀一はようやく口を開いた。
「簡潔に言おう。……紫と別れてくれ」
男の切れ長の目が、つかの間大きく見開かれた。
「……それは、紫殿は……」
「知らない。知るわけがない。あいつは今、あんたのこと以外考えられないだろうから」
「ならば、何故」
当然の疑問であった。家長も許した婚姻を、何故妨げると言うのか。しかも、当の紫の意志でもなく。
「……あんたも薄々気付いているとは思うが、墨縄家にはいくつかの派閥が存在している。そして残念ながら、一族の財産を手中にするためには、多少の犠牲を厭わない連中がいることも確かなんだ」
歴史の表舞台に出ることはなくとも、墨縄家には一族中の人間を養って尚余りある財力がある。先に述べた騒動の果てに、先祖の遺した莫大な財宝が地中深く消えようとも、依然としてその事実には変わりがなかった。
自分の言葉に男が黙って頷くのを見て、秀一は苦々しい思いになった。やはり一族内の何者かが、既にこの花婿となるべき男に何らかの接触を行っていたのだ。

「秀一殿」
男が静かに呼びかけた。
「秀一殿が何を仰りたいのかは解っているつもりです。拙者と共に来ることが、紫殿にとって吉と成り得るかどうか断言できぬことも」
しかし、台詞の内容とは裏腹に男の瞳には一片の迷いも見受けられなかった。
真っ直ぐに見返してくるその視線にやや気おされつつも、秀一は辛うじて言葉を紡いだ。
「それが解っていながら、このまま行くと言うのか? 式が無事終わったとしても、大変なのはその後だ。……恐らく、色々と厄介な問題が出てくるぞ」
「元より覚悟の上」
男の答えは簡潔だった。だからこそ、秀一にはその“覚悟”がより一層強く感じられた気がした。

迷わなかった訳ではなく、迷いを乗り越えた眼だ。

言葉よりも雄弁に伝わるものがあった。
それまで秀一は、この男に対してある種の世捨て人的な印象を抱いていた。周囲で何が起ころうとも惑わされたりせず、ただ静かに自分の道を行く人間だと思っていた。
しかしこの時始めて、それは間違いだと知った。
その意志の強さは、大いに悩み、迷い、惑い……その末に選んだ道を守り抜こうとすることによって培われたのだと──人一倍感受性が強いからこそ持ち得たものだと知った。

目の前に居るこの男は、行く先にどんな困難が待ち受けていようとも、一心に突き進めるだけの“強さ”を持っている。
身体的な屈強さのことではない。
例え一族中の人間が反対し且つ妨害しても、紫と共に乗り越えていけるだけの力を──

秀一は、ふっと息を吐いた。全身の緊張が抜け、気が楽になった。もう、自分の役目は終わった。後は、二人を見守っていくだけ……。
「……紫を、幸せにしてやってくれ」
「承知いたした」



【6】 選択

そう、あの時秀一は、確かにその男のことを認めた。
彼ならこの先ずっと紫を守っていける人物だと。

眼前の怒りに惑わされ、見逃していた大切なこと。
それを、紫が思い出させてくれた……

(……そうか)
秀一は、ようやく理解した。
あの男は紫から逃げたのではない。
敵の一族との激しい攻防戦の中で、あの男は他ならぬ紫を傷付けてしまった。
完全に守り切ることは、出来なかった。
そのことをどんなにか悔いただろうことは、想像に難くない。
彼は誠実な人なのだ。身の伴わぬ誓いなど、絶対にしないだろう。
だから一時的に彼は去った。いや、離れたと言うべきか。愛する人を二度と傷付けないと、躊躇いもなく神に誓える日が来るまで。
だが何にせよ、彼は紫の元へ帰ってくるはずだ。
必ず戻る──その約束を果たすために。
多分、彼の帰りはそんなに遠くのことではないだろう。
そう信じる自分がちょっとおかしかった。
なにしろ、彼女が選んだ唯ひとりの人なのだから──

紫の柔らかな栗色の髪の毛が、風を受けて僅かにそよいでいる。
その髪と同じ色をした瞳が、じっと自分の姿を捉えている。あの男と同じ、強い意志の光を宿した瞳が。
「いい眼をしているな」
「……え?」
秀一の呟きに、紫は小首を傾げた。 子供っぽい仕草とは対照的に、その表情は大人の女性のものであった。少なくとも、秀一にはそう感じられた。

黄昏の陽光を背に受け、紫の輪郭がほのかに光を放っていた。
そんな彼女を、秀一はとても綺麗だと思った。
「……いや……なんでもない」
そして、そっと付け足した。

「幸せに、なれよ」

紫は少し驚いたような表情を見せたが、すぐに弾けるような笑顔になった。




「ありがとう、秀一……兄さま……」
Fin.
【ある秋の日に】

当初の予定では、12月末の風魔公開15周年記念日に併せてアップしているはずだったんですが…… 気付いたら、とっくに年越してました(爆)

書いている内にどんどん長くなっちゃったんですが、 これでも入れるつもりだったエピソードを色々と省いています。 例えば、今回のオリジナルキャラである秀一は、最初「秋一」という名で、 彼が秋好きだから紫も挙式を秋にした、とか。 そりゃもう、勝手に設定を作りまくりましたv(笑) ……省いたら全然意味ないけど( ̄∇ ̄ゞ
それにしても、何のヒネリもないタイトルだ…(汗)

この小説は、柊けいこ様へ捧げさせて頂きました。

(2003/4/12)

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