(風魔の前のおはなし)

2. 襲撃

 晩秋、数週間にわたる催しは盛況だった。墨縄老人と紫をはじめ、墨縄家の主だった人々は案内や接待に忙しく追われた。五右ェ門は彼らの傍らに控えて、来場者の動向に気を配った。多数の来場者にもかかわらず、心配されたようなトラブルというほどのことは起こらなかった。
 最終日、

「墨縄殿の心配は、杞憂で済みそうですね。よかった。」

 という五右ェ門に、

「あなたがいてくれたからですよ。用心棒殿を恐れて、悪い奴らは手出しできなかったのでしょう。」

 と、墨縄老人は笑った。

 夕方、つつがなく催しが終了すると、展示品はひとまず墨縄本家の母屋へ運ばれた。蔵への片付けは翌日、明るくなってからということにして、座敷で慰労の会が催された。一族の各家から大皿の料理が持ち寄られ、酒が振舞われる。

「五右ェ門さま!これ、私が作ったんです!」

 墨縄老人の隣で席についていた五右ェ門のもとに、紫がたくさんの料理を皿に取り分けてやってきた。季節野菜の炊き合わせ、豆腐田楽、飛騨郷土料理の朴葉寿司…。

「これは美味い…紫殿、案内やら何やらで忙しかったのに、こんなに料理までしてくださって。」

 五右ェ門の言葉に、隣で杯を傾けていた墨縄老人が笑った。

「紫は、五右ェ門殿がいらっしゃると、普段よりもいっそう張り切って台所に立つのですよ。」

 祖父にそう言われて、紫は嬉しそうに笑いながら、徳利を取り上げた。

「五右ェ門さま、どうぞ!」

 紫が注いでくれる杯を、五右ェ門はよろこんで重ねていく。
 無事に行事が終わった安堵感に加え、たまの集まりの楽しさで、大いに盛り上がる墨縄家の人々。墨縄老人は席を離れ、先ほどから来客の一人と談笑していた。集まった中には幼い子どもたちもいて、機嫌よくじゃれあっている。
 そうした様子を微笑ましく眺めていた五右ェ門はふと、外に異様な気配を感じた。

「どうしたの、五右ェ門さま…」

 突然表情を厳しくして杯を置いた五右ェ門に、紫が怪訝な顔をする。異変に気づいたのは五右ェ門だけ、五右ェ門の様子に気づいたのは紫だけ。しっ、と彼女に合図して、傍らの愛刀を手に取ると、縁側に出る。夜の闇の中、いくつかの黒い影が、蔵に群がっているのが見えた。五右ェ門は裸足のまま庭へ飛び出すと、物音を立てずに蔵へと走る。先頭の影はすでに蔵の中へと入ってしまったようだ。こじ開けられた蔵の入り口に立った時、中で複数の人間が何かを必死に探し回っている気配が伝わってくる。次の瞬間、目の前に黒い影が飛び出してきた。五右ェ門は愛刀を瞬時に抜くと、峰に返して力の限り打ち付けた。飛び出してきた人物が悶絶して地面に倒れる。斬ることはためらわれた。墨縄家の人々の目がある。自分の正体をまだ知られたくない。加えて、紫に血を見せるようなことはしたくない、という思いが、心の奥底に意識された。続けさまに飛び出してくる影たちを峰打ちで倒していると、蔵の奥のほうで突然激しく光が明滅した。

 背後でざわざわと声が上がる。騒ぎに気付いた一族の人々がこちらへ向かってくる気配が感じられた。

「五右ェ門さま!」

 紫の声が聞こえた瞬間、おそらく最後の一人と思われる黒い影が、何か箱のようなものを抱えて蔵から飛び出してきた。五右ェ門はその人物もすかさず打ち倒した。抱えていたものが地面に転がる。暗闇に慣れた目に、それが蓋に仕掛けを施した細工箱であることが見て取れた。背後の人々から悲鳴が上がった。五右ェ門が瞬時にそちらへ視線を向けると、最初に打ち倒した賊が意識を取り戻したのだろう、立ち上がり…拳銃を構えていた。宴会の席を抜け出し、かくれんぼなどして遊んでいて、騒動もわからず出てきてしまった幼い子どもの方へ。

「坊や!」

 母親の悲痛な声が後ろから聞こえる…

 …次の瞬間、五右ェ門が驚愕したのは、人々の中で最も子どもの近くにいた紫が飛び出して、拳銃を構えた賊と子どもの間に立ちはだかったことであった。恐怖で固まっている子どもを守ろうと、少女は腕を広げ、黒づくめの人物を見据え…賊の口元に残忍な笑いが浮かぶ…そして拳銃は発射された!刹那、五右ェ門は紫の前に躍り出た。一発の弾丸が切断され、真っ二つになって地面に転がる。時が止まったかのような沈黙。

 賊はあっけにとられたように五右ェ門を見据えていたが、たちまち銃を構え直した。先刻、紫に向けて発射した際は、傷を負わせて威嚇することが目的で、殺すつもりまでは無かったと思われた。だが、今度は明確な殺意を持って、五右ェ門に向けて連射してくる。その弾丸が目にも止まらぬ刀の動きによって、すべて斬り飛ばされていく。賊は覆面の下に驚愕の色を浮かべ、全弾を打ち尽くした拳銃の引金を虚しく弾いた。だが、五右ェ門がふたたび峰打ちを与えようとした一瞬、賊は素早く身を翻し、山の方角へ逃げ去ってしまった。五右ェ門は追うことも考えたが、夜の山中で追跡は難しい。それに、他にも仲間がいて、再び襲ってくる可能性もある。今はこの場にとどまり、様子をうかがうのが賢明に思われた。

「五右ェ門さま!」

 気づくと、紫が五右ェ門の、刀を持ったままの右手をいたわるように押さえている。目をやると、五右ェ門の右手首からは血が流れていた。弾丸を斬り飛ばした時、墨縄家の人々の方へ飛ばぬよう意識したので、破片を受けてしまったのだろう。大した傷ではない…だが、紫は

「早く手当てしないと」

 と言って、五右ェ門を母屋の方へ導いた。その間にも、五右ェ門は集まった人々の視線を痛いほど感じていた。わかっている、彼らが何を考えているか。

『真剣など携え、弾丸を切り落とすほどの腕前を持つお前はいったい何者。』…。

 その一方で、五右ェ門の方にもいささか不思議に思われることがあった。墨縄家の人々は、彼の方へ意識を向けながらも、倒れている黒い影たちを、手早く取り押さえにかかっていた。

「奴らか?」

「おそらく。」

 賊の覆面を剥がした一族の人々の声がする。ふと周りを見回すと、先ほど五右ェ門が切り飛ばした弾丸の破片が、片づけられているように思える…。一族の対応は随分素早く、的確だ。何か、こういった荒事をある程度覚悟して、慣れている人々のように五右ェ門には感じられたのである。

≫ 3. 婚約
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