闇の竜王
 渾身の力を込めて突き出した剣は、見事に相手の硬い皮膚を貫いていた。
≪おの……れ……忌々しき、人の子めが……!!≫
 致命傷を受け、巨大な竜の身体がぐらりと傾(かし)ぐ。
≪せめてもの道連れだ……。そなた等も、我が城と共に……滅びるが良い!!≫
 破壊の禁呪を発動したのだろうか。 断末魔の咆哮を上げ地響きを立てて倒れた主人と呼応するかのように、古城のあちこちで崩壊が始まった。 荘厳な彫刻や優美な庭園をも巻き込み、全てが徐々に闇に飲み込まれて行く。
「騎士様!!」
 悲痛な叫び声が、朦朧としかけた騎士の意識を現実に引き戻した。 ──そうだ、まだ終わりではない。私にはやるべきことがある。
 騎士は杖代わりの剣にすがりつつ大広間を横切った。 倒れ伏す小山の如き巨竜の向こうに、鳥籠を思わせる大きな檻が安置されている。 囚われているのは一人の美しい女性──騎士が仕える王家の姫君である。
「騎士様……」
「シルヴィア姫、今、お出しいたします」
 騎士は気力を振り絞り、一刀のもとに鉄の錠前を断ち切った。それが限界だった。 ガクリと膝を着いた騎士の背を、自由を得た温かい手が支える。
「わたくしを助けてくださいましたことを、大変感謝しております。 だから……だから、どうかしっかりなさって」
 真摯な気遣いの言葉に、騎士はかえって胸が苦しくなるのを感じた。  足元の振動がますます激しくなり、頭上からは粉塵や石片が絶え間なく舞い落ちて来る。 この場が崩れるのも時間の問題だろう。
 騎士は力なく頭(こうべ)を垂れた。
  「……申し訳ございません。貴女を救うべくやって来たと言うのに、私には、もう……」
 せめてこの姫君は無事に逃がしてやりたかったが、騎士には最早その余力は微塵も残されていなかった。 幾日にも及んだ竜との死闘により、精根尽き果ててしまったからである。
 先程から姫が癒しの魔法を掛けてくれていたが、彼女もまた衰弱しているのだろう、 騎士の疲労がほんの僅かに軽減しただけだった。
「──いいえ、騎士様」
 ふわりとした優しい微笑みを浮かべ、姫は騎士の手を取った。
「竜王が倒れたことにより、付き従っていた魔物たちも離散することでしょう。国は守られました。 貴方は無事役目を果たされたのです」
「しかし、私は……」
「謝らねばならないのは、わたくしの方です」
 尚も続けようとする騎士を制して、姫は切なげに眼を伏せる。
「竜王の手下に襲われた時点で、わたくしは自害すべきでした。 人質として利用されれば父王にも国民にも迷惑が掛かります。……なのに、出来ませんでした。 ──騎士様が来てくださると分かっていたから」
「……姫」
「信じておりました。国中の誰よりも、貴方を」
 これ以上会話を進めるべきではない ──頭のどこかで警鐘が鳴っていることを自覚しながら、騎士は真剣な面持ちで姫の眼を見詰めた。 初めて至近距離で見る王家の一人娘は、やはりとても美しく、 そして儚(はかな)げであった。
「シルヴィア姫」
 意を決し、騎士は静かに語り掛ける。
「……ずっと貴女を見ていました。貴女の笑顔が心の支えでした。 この手で触れることが叶わなくとも、お傍近くで仕えられるのであれば幸せだと」
 王都に初めて足を踏み入れた少年時代のあの日、愛らしい姫君を偶然垣間見たことこそが、 騎士のその後の運命を決したのだろう。厳しい訓練にも耐え人一倍努力し、田舎の下級貴族の出でありながらも、 王家直属の騎士団に入団を許されるほど強くなれた。全ては、憧れの女性に少しでも近付きたいがために。
「あぁ、騎士様。わたくしもお慕いしておりました」
 吐息混じりに姫が言った。
「この世で結ばれることが叶わなくとも、騎士様と御一緒出来るのであれば怖くはありません。 ……でも、ごめんなさい。決して貴方を、危険な目に遭わせたかったわけではないのに……」
「いえ。むしろ御礼申し上げます。こうやって、夢にまで見た貴女と寄り添うことが出来たのだから」
 握り合う手に自然と力がこもる。
 降り注ぐ瓦礫の中で、二人はしっかりと見詰め合っていた。
「次の世でも、わたくしを探しに来てくださいますか?」
「いかな困難が待ち受けていようとも、全身全霊を掛けてお探しすると誓います」
 もう他の何物も目には入らない。周囲に響く轟音ですら言葉を妨げることは出来ない。
 ただ、互いだけが世界の全てだった。
 迫り来る闇を背に、潤んだ瞳で姫が囁(ささや)く。
「最後のお願いです。『姫』ではなく……どうか、わたくしの名を呼んで」
 騎士はふっと穏やかな笑みを浮かべた。 次はきっと、身分のない世界で再び巡り会い、幸せになれることだろう。 ──なぜか、そう信じられる気がした。



「……シルヴィア。愛してる……」

「ありがとう。わたくしも愛しているわ、ルパン……」




── 完 ──





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