「カウントダウン」 第四章 激突編
(三)天に祈りを
 不二子はふと瞼を開けた。
 目にまともに光が飛び込んで来て、それで初めて、点灯の刺激で目覚めたのだと思い至った。
「お目覚めかね」
 やや離れた場所から聞き覚えのある声がしたが、不二子は応えずに大きく伸びをした。
 鉄格子にもたれかかったまま寝入ってしまったので、身体の節々が痛いのだ。
「気分はいかがかな」
 周囲を見回してみるが、室内が明るくなった以外には何も変わりがなかった。
 いや、先ほどとは違う点が一つだけある。言うまでもなく、声を発している人物の存在である。
「飲み物くらいならば用意できるが、どうするかね?」
 不二子はようやくその男の方へと視線を向けた。にっこりと微笑み、わざとらしく朗らかに言う。
「極上のビンテージワインを一杯いただけるかしら」
「おぉ、すまない。ワインは安物しか置いておらんのだ」
「あら、それは残念ですわ」
 座り込んだまま不二子は足を交差させた。スーツスカートの裾がやや持ち上がり、脚線美を強調する。立てた方の片膝の上で手を組み、不二子は顎を乗せて男を真っ直ぐに見詰めた。
 色気で籠絡しようとしたわけではない。これが彼女の戦闘スタイル(のうちの一つ)なのだ。
「ところで。何かアタシに言うことがあるんじゃなくて? カパロス所長殿」
「状況説明かね」
「当然でしょ」
「ふむ……」
 壁際の大型機器にちらりと目をやってから、カパロスは考え込むように頤(おとがい)に手を添えた。
 商談時の穏やかな様子とは打って変わり、眼光が猛禽のように鋭い。白髪交じりの痩せぎすな風貌とあいまって、さながら死神と対峙しているかのようだ。
 不二子が密かに警戒心を強めていると、カパロスはふっと遠い目をした。
「端的に言えば、君があまりに美しかったので、手放したくなかったのだよ」
「だから閉じ込めてみた、と?」
「そうだ」
「嘘ね」
 間髪入れずに否定されたのが意外だったのだろうか。カパロスは不思議そうに目を瞬いた。
「おや。自信家の君らしくもないな。そういう理由ならば喜んでくれるかと思ったが」
「そうね。理由だけなら喜んであげてもいいわ。本心であればの話だけど」
「ほぅ……。本心ではないと?」
「貴方がアタシを調べていたように、アタシも貴方のことはそれなりに分かっているつもりよ。……ボリス・カパロス」
 不二子は挑戦的にカパロスを見返す。
「貴方は他人に興味を抱かない。貴方が惹かれるのは、兵器と戦闘とそれに関わる人たちだけ。──アタシへの賛辞を疑うには充分な理由じゃないかしら」
「私とて、美女への関心が全くないと言うわけではないさ。たとえば……そう、君のような完璧な肉体を持つ女性に軍服を着てもらえたら。きっと私は興奮するだろう」
「残念ながら、アタシはマネキンじゃないわ」
「あぁ、残念だ」
 そこで会話が途切れる。
 不二子は小さく息を吐いた。まだ何も聞き出せていない気はするが、目覚めたばかりで本調子ではないので、なかなか思う通りに事が進まないのだ。眠気はほとんどないものの、考えることすら面倒に思ってしまうほどの倦怠感が身体全体を覆っている。
 カパロスの方も何か他のことに気を取られているのか、不二子の様子に別段気を払っていないようだ。


「あぁ、そうだ」
 長くもなく短くもない沈黙の時が過ぎたあと、カパロスが不意に言った。
「言い忘れていたが、君のお仲間が今この所内に侵入しているんだった。運が良ければ外に出られるかもしれんね」
「……そう」
 不二子は口元に薄く笑みを浮かべた。
 詳細は聞かなくとも分かる。
 ──ルパンだ。恐らく、次元と五右ェ門も。
 峰不二子が行方不明になったことを察知して、足取りを辿って来たのだろう。
 遅まきながら、そこで気が付く。自分は餌だ。ルパンたちを引き寄せるための。
 ルパン三世本人が狙いなのか、誰でもいいから目の前でリアルな戦闘を繰り広げてもらいたかっただけなのか、そこまでは分からない。分からないが、現状はカパロスの思い通りになっているのだろうことは想像が付く。
 ……だからこそ、腹立たしい。
「何も心配していないわ。アタシは運がイイ女だもの」
 不二子は煽るように一語一語ゆっくりと発声した。
 怒りの炎が倦怠感を吹き飛ばしていく。
 カパロスは商取引に乗り気だった。こちらの提案に興味を示していた。それが全部芝居だったのなら、馬鹿にするにもほどがある。
 相手の思惑を見抜けなかった方にも非はあるかもしれない。しかし、それを全て棚に上げてしまうのが峰不二子という女なのだ。
「だから、貴方は部下を気遣ってあげるべきね。自衛部隊隊長の……オルランド・シガネルだったかしら。彼は、まだ生きていて?」
 カパロスが目を見開く。
「……そこまで調べていたのか」
「当然でしょ」
「内部データへのハッキングは不可能なはずだ」
「でも、人の口に壁は立てられないようね」
 街で一泊した時に、オルランドの部隊に所属していると思われる人物と酒場にて接触できたのだ。ほろ酔い気分のその彼は、いかに自分たちが強く、また、研究所内で日々どんな鍛練をしているのかを、とうとうと語ってくれた。
 リーダーの名前さえ分かれば個々の経歴を追うことはさほど難しくはない。
 取引相手について調査するのは、不二子にとってはごく当たり前のことなのだ。どんな些細な情報であっても、知っていて損になることなどない。何がどんな状況で自分に有利に働くか分からないのだから。
「そうか……。なるべく街に出るな、出るなら素性を明かすな、とは言っておいたのだが……」
 カパロスがやれやれと首を振る。
 一般人ならいざ知らず、彼らは自らの腕を頼りに戦場を渡り歩くような連中なのだ。研究畑で生きて来た人間が手綱を握り切れていなかったとしても、何もおかしいことはない。
 とは言っても、ガードの固い傭兵に色気で迫り、どんどん酒を飲ませて口を割らせたのだから、カパロスの人心掌握が未熟だったと言うよりも不二子の魅力の勝利と言って良いだろう。
「オルランドならば、先ほど次元大介に倒されてしまったようだ」
「その割には楽しそうね」
「モニター越しとは言えど、良い物が見られたからな。心地よく響き渡る銃声(サウンド)、向かい合う両者の真剣な眼差し、命懸けの駆け引き、そして勝負ははかなくも一瞬で終わる。──これぞ本物のガンファイトなのか、と深く感じ入ったよ」
「……それは良かったわね」
 当事者ではないからそんな暢気な感想を抱けるのだ、と、不二子は呆れる思いで嘆息した。
 目的のために命を懸けた経験は自分にだってある。だが、安全な場所にいる人間に上から目線で褒められたとて、誰がそれを誇りに思うだろうか。
 いくら軍事に関する膨大な知識を持っていたとしても、所詮、彼は素人に過ぎないのだ。
「オルランドも良い兵士だったのだがな……。勿体ないことをした。しかし、彼は最期にやってくれたよ」
「どういうこと? 次元はどうしたの?」
 不二子の声が聞こえなかったかのように、カパロスは話を続ける。
「石川五右ェ門の剣技もまた見事だった」
「……五右ェ門と闘ったのだとすれば……ジョルジオ・マーニね。貴方のお気に入りなのでしょう?」
「彼のことも調べたのか。引きこもり気味だから、ここに来てから街に降りたことなどないはずなのだが……。どこで知った?」
「企業秘密よ」
 口角をツと持ち上げ、不二子は妖艶に微笑んだ。
 実を言えば、大した手は使っていない。
 自衛兵でもオルランド一味でもない両刃斧使いの若者がいる、という噂を街で耳にして、それを元に情報屋を使って候補者を絞り込んだだけなのだ。「カパロスのお気に入り」というのも、わざわざ彼を戦場から呼び寄せたことからの推測に過ぎない。
 当初の予定では、もっと早くにハイデゴールに入国して情報収集するつもりだったが、ルパンの呼び出しを優先してしまったため時間が足りなくなってしまった。それでも半日ほどでカパロスの側近とも言える者たちを特定することができたのだから、上出来と言っても良いだろう。
 そもそも、こんな事態になることを想定していたわけではない。商談を円滑に進めるため、軍事マニアのカパロスと話を合わせるために、一応周囲の状況を調べておいただけなのだ。
「そうか。まぁいい。……残念ながら、ジョルジオも倒されてしまったよ。あの双頭の大斧が雄々しく振り回されるのを、もう二度と見る機会はなさそうだ」
 セリフとは裏腹に、やはりカパロスは楽しげな表情を浮かべている。
「──だが、収穫はあった。速射性と破壊力の大きさから、ついつい銃器にばかり注目していたが、日本刀はやはり美しいな。振り抜いた時の一瞬の煌めき、風を斬る音、鋭い切っ先、流れるような白刃の軌跡。操る者の技量とあいまって、まさに芸術。──それを再確認できただけでも充分に意味のある闘いだった」
(やぁね。……本当に、頭の中は闘いのことばっかりなのね……)
 よくぞ今まで最先端のIT分野でやって来れたものだと、不二子は呆れるのを通り越して感心すらしてしまう。
(……うぅん、きっと違うわね)
 恐らくカパロスは、最初は普通の人間だったのだ。少なくとも表面上は。
 元々軍事マニアではあったがそれを趣味の範囲に止めていたのに、仕事の成果が認められて地位が上がっていき、ついには大手企業の研究所所長に抜擢され、施設の設計段階から自由にさせてもらえるほどになり、その施設が本社の目が届きにくい場所にあるため心の箍(たが)が外れ、それまで抑えていたマニア魂に火が付いた。──順番としてはそんな所だろうか。
 問題は、いつの時点から「峰不二子の監禁」を考えていたのかということだ。
 研究所が建てられたのはおよそ三年前。
 オルランドたちが雇われたのは一年前。
 ジョルジオが招かれたのが半年前。
 不二子がエルヴィス・バーネットと出会ったのが二ヶ月半前。
 商談担当者と事前の打ち合わせをしたのが三週間前。
 そして、カパロスと顔を合わせたのが今日──。
 実際はこの建物に来て眠らさせれてから既に数日経過しているだろうが、それはこの際どうでも良い。
(アタシがエルヴィスと会ったのは偶然かしら? ……偶然のはずよ。ニコラスの同伴で参加したけど、あの社長サンは軍事関係どころか、レスコットグループと全く接点がないはずだし……)
 だいたい、こんな計画にエルヴィスが関わっているわけがないのだ。彼は『闘い』なるものに全く関心を持っていないのだから。
(偶然だったと仮定して……アタシがコンタクトを取った時点で、利用できることに気付いたのかしら? アタシがルパン三世と親しいことを知っていたから?)
 ルパンは裏社会はいざ知らず、表社会でも広く名が知られている有名人である。本業は泥棒だが、盗みの過程で激しいバトルになることも少なくはない。カパロスにとっては魅力的な人材と言えるだろう。
 普段の不二子ならば、ここで取引を持ち掛けるところだ。自分を自由の身にしてくれたら、ルパン三世をけしかけて、もっと面白い状況にしてあげる、と。
(でも、それはちょっと癪に障るわ……)
 のちに裏切るにしても、たとえ一時でも手を組みたいとは思わない。騙されたことや撒き餌扱いされたことへの不満がそう思わせているのだろうか。
 ひょっとして──と、不二子は考える。
 カパロスの態度が腑に落ちないせいだろうか。
 バトル観戦に喜びつつも、さほどのめり込んでいるようには見えないのだ。きっと何か、ほかに大きな目的があることを隠している。彼は信用できない。
「……あ」
 不二子はふと思い付いたかのように言った。
「そう言えば、貴方、アタシの持ち物を盗ったわね」
「盗ったとは人聞きが悪い。預かっただけだよ。目的を達する前に逃げ出されても困るのでね」
「だったら、もう充分でしょ。返してちょうだい」
 不二子は顔ににこやかな笑みを浮かべたまま、幼子に言い聞かせるかのような調子で言い放つ。
 真っ直ぐ差し出された手を見てカパロスは僅かに躊躇したようだったが、やがて頷いた。
「……まぁいいだろう。どのみち私には用のない物だ」
 飾り棚の上に置いてあったショルダーバッグを手にし、鉄格子の間から投げ入れて来る。
 不二子は早速中身を確認した。財布や書類、弾の抜かれた愛銃、そして、不思議な色合いの指輪──。
 入れていたはずの小道具の類いは見当たらなかったが、それは仕方ないだろう。
 さり気なく指輪を左手の指にはめながら、不二子はバッグの点検を終えた。
「だいたいの物はありそうね」
「私は紳士だ。女性の私物に手は出さんさ」
「ブローニングに触ったくせに」
「そこは大目に見てもらわんと」
「一応言っておくわ。返してくれてありがとう」
「どういたしまして」
 しらじらしい会話のあと、カパロスはもたれかかっていた壁からふっと身を起こして歩き出した。
「じゃあ、私はそろそろ失礼するよ。君のお仲間を監視しないといけないのでね」
 不二子はその背に声を投げかける。
「一つ訊いていいかしら、所長殿」
「何かね」
 次元と五右ェ門の戦闘結果については聞いた。だが、まだ何も言及していない人物がいる。
「ルパンは、今、どこ?」
 カパロスが振り返った。その顔に微かな笑みが宿る。
「……多分、すぐ近くに」


 パタンと扉が閉まった。
 今度は灯りが点いたままなので、闇に飲まれる心配はない。
 光を受け、先ほど薬指にはめた指輪が美しく煌めいている。
(……ルパン)
 不二子は軽く息を吐くと、他方の手で指輪を包み込んだ。まるで天に祈りを奉げるかのように。
 そして胸中でつぶやく。
(お願い、早く来て……)

 ──追跡装置が上手く働いていることを信じて。
捕らわれの身でありながらも、決して余裕な態度を崩さない。そんなカッコイイ不二子ちゃんが描きたかったのですが……どうしてだろう! 全く描けてる気がしない!(苦笑)
神頼みならぬ、ルパン頼みに結局なっちゃってるからかな〜……。
(サブタイトルは「天に祈りを」だけど、もちろん彼女は天になんぞ祈っておりません^^;)

(2016/2/6)

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